お酒のおともに
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元新聞記者でニュースキャスターだった筑紫哲也さんが癌で亡くなった。
TBSのニュース23で18年半メインキャスターを務め、毎晩多事争論で自らの主張を述べていた姿が今でも強く思い起こされる。
同時代にこれまた18年半ニュースステーションでニュースキャスターを務めた久米さんは、この同じ早稲田の9年先輩を頼もしく思っていたようだ。
曰く、自分が前衛に近いトップ下に居るとすれば、筑紫さんはたまにオーバーラップしてゴールを決めてくれる左サイドバックのようだったと。
10時台のニュースステーションのあとに、11時台のニュース23があるので、自分が多少乱暴なことを言っても筑紫さんがなんとかフォローしてくれる、だから安心して前のほうでサッカーができた、というわけだ。
筑紫さんは10歳のときに終戦を迎えた。
TBSで追悼の映像を見たが、平和の大切さ、尊さというメッセージをさまざまな折にふれ遺してくれたように思う。
日本は戦前、非常に好戦的な時代があって、新聞もこぞって体制に迎合していた。
しかし戦後の日本は戦争を放棄する憲法のもと、今のような経済大国となった。とりわけ筑紫さんがいた朝日新聞は護憲派とされている。
思うに、筑紫さんの世代は、幼少の頃、新聞などのジャーナリズムに翻弄されたアンビバレントな世代だったのではないだろうか。
一方ジャーナリスト筑紫哲也は、一貫した態度を貫いていたと思う。
「ぶれない」という態度は、今のような浮き沈みの激しい時代だからこそ、一層大切な資質だと思わずにいられない。
TBSのニュース23で18年半メインキャスターを務め、毎晩多事争論で自らの主張を述べていた姿が今でも強く思い起こされる。
同時代にこれまた18年半ニュースステーションでニュースキャスターを務めた久米さんは、この同じ早稲田の9年先輩を頼もしく思っていたようだ。
曰く、自分が前衛に近いトップ下に居るとすれば、筑紫さんはたまにオーバーラップしてゴールを決めてくれる左サイドバックのようだったと。
10時台のニュースステーションのあとに、11時台のニュース23があるので、自分が多少乱暴なことを言っても筑紫さんがなんとかフォローしてくれる、だから安心して前のほうでサッカーができた、というわけだ。
筑紫さんは10歳のときに終戦を迎えた。
TBSで追悼の映像を見たが、平和の大切さ、尊さというメッセージをさまざまな折にふれ遺してくれたように思う。
日本は戦前、非常に好戦的な時代があって、新聞もこぞって体制に迎合していた。
しかし戦後の日本は戦争を放棄する憲法のもと、今のような経済大国となった。とりわけ筑紫さんがいた朝日新聞は護憲派とされている。
思うに、筑紫さんの世代は、幼少の頃、新聞などのジャーナリズムに翻弄されたアンビバレントな世代だったのではないだろうか。
一方ジャーナリスト筑紫哲也は、一貫した態度を貫いていたと思う。
「ぶれない」という態度は、今のような浮き沈みの激しい時代だからこそ、一層大切な資質だと思わずにいられない。
- 2008-11-10
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