お酒のおともに
お酒でも飲みながら見ていただければ幸いです。
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翌日南へ行く道は、30丁目あたりで通行止めになってもう入れなくなっていました。

1日経ってもまだ、ジェット燃料が燃え続けているようで、南風になると焦げ臭いにおいがマンハッタン中に立ちこめます。
まだテロ報道は正確さを欠いており、混乱していました。
アルカイダやオサマ・ビン・ラディンが犯行グループであることは報道されていましたが、だれも正確なことがわからないという感じでした。
今でこそ4機の飛行機がハイジャックされて、2機がWTC,1機がペンタゴンに突っ込み、1機がワシントンDC郊外の野原で墜落したと分かっていますが、このときはまだ8機ハイジャックされたとか、12機ハイジャックされたとか、さまざまな報道や噂が飛び交っていました。
飛行機がテロに使われたため、飛行機は使用禁止になったとニュースが流されていました。
飛行機が使用できないので、最悪陸路でカナダまで行き、そこから飛行機で帰ろうかなどとも考えました。
街のようすは、随分と緊張感が高まっていました。
交差点という交差点に1人ずつ警官が立ち、小さな宝石店などにも必ずといって良いほどガードマンが張り付いて目を光らせていました。
もう観光どころではありません。
治安維持のため軍隊まで出動していました。
しかし、軍出動もいやな感じはせず、逆に安心な気分になりました。


1日経ってもまだ、ジェット燃料が燃え続けているようで、南風になると焦げ臭いにおいがマンハッタン中に立ちこめます。
まだテロ報道は正確さを欠いており、混乱していました。
アルカイダやオサマ・ビン・ラディンが犯行グループであることは報道されていましたが、だれも正確なことがわからないという感じでした。
今でこそ4機の飛行機がハイジャックされて、2機がWTC,1機がペンタゴンに突っ込み、1機がワシントンDC郊外の野原で墜落したと分かっていますが、このときはまだ8機ハイジャックされたとか、12機ハイジャックされたとか、さまざまな報道や噂が飛び交っていました。
飛行機がテロに使われたため、飛行機は使用禁止になったとニュースが流されていました。
飛行機が使用できないので、最悪陸路でカナダまで行き、そこから飛行機で帰ろうかなどとも考えました。
街のようすは、随分と緊張感が高まっていました。
交差点という交差点に1人ずつ警官が立ち、小さな宝石店などにも必ずといって良いほどガードマンが張り付いて目を光らせていました。
もう観光どころではありません。
治安維持のため軍隊まで出動していました。
しかし、軍出動もいやな感じはせず、逆に安心な気分になりました。

- 2009-09-15
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公共交通機関が動いていませんし、道路には車も走っていません。
ニューヨーカーたちも、徒歩で移動していました。
マンハッタン中が歩行者天国のようでした。

ペン・ステーション前に行くと、電車が動いていないので、ものすごい人があふれていました。


歩き回った後、夕方4時ごろホテルに戻り電話をかけてみました。
ようやく実家に電話が繋がり、安否を知らせることができました。
会社にも知らせる必要がありましたので、時差を考慮し、日本時間の朝10時ごろに電話してみました。
庶務の女性が電話に出ました。「大丈夫?」と聞かれましたが、「大丈夫じゃないから」とすこし冗談気味に答えました。
部長に代わってもらい、無事に過ごしているが、飛行機が飛ぶか分からないので、帰国が少し遅くなるかもしれないことを伝えました。
リフレッシュ休暇を取っての旅行だったため、部長も旅程を知っていて、ちょうどNYに滞在している頃だから心配していたと言われました。
家族と会社のほかにも、航空券を調達した旅行会社にも連絡をいれておきました。
担当者もほっとしたようでした。
ニューヨーカーたちも、徒歩で移動していました。
マンハッタン中が歩行者天国のようでした。

ペン・ステーション前に行くと、電車が動いていないので、ものすごい人があふれていました。


歩き回った後、夕方4時ごろホテルに戻り電話をかけてみました。
ようやく実家に電話が繋がり、安否を知らせることができました。
会社にも知らせる必要がありましたので、時差を考慮し、日本時間の朝10時ごろに電話してみました。
庶務の女性が電話に出ました。「大丈夫?」と聞かれましたが、「大丈夫じゃないから」とすこし冗談気味に答えました。
部長に代わってもらい、無事に過ごしているが、飛行機が飛ぶか分からないので、帰国が少し遅くなるかもしれないことを伝えました。
リフレッシュ休暇を取っての旅行だったため、部長も旅程を知っていて、ちょうどNYに滞在している頃だから心配していたと言われました。
家族と会社のほかにも、航空券を調達した旅行会社にも連絡をいれておきました。
担当者もほっとしたようでした。
- 2009-09-15
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City Hallまで逃げて一旦は落ち着きましたが、まだ十分安全とはいえません。
また近くで何が爆発するかもしれませんので、ホテルのある北へ向けて逃げることにしました。(この時点でまだ爆弾テロだと思っていました。)
City Hall駅に降りていくと、まだ事件直後だったので地下鉄は動いていました。このあとまもなく地下鉄駅も全面的に封鎖されることになりますが。
ホテルは50数丁目にありましたが、とりあえず103丁目まで逃げました。

なぜこんなに北まで逃げたかと言うと、まだ観光する気を捨てていなかったからでした。
グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館に寄る予定でした。
さて、地下鉄に乗っていると、隣に座った女性が泣きながら、周りの人にセカンド・プレーンを見たとか言っているのが聞こえました。
なんで飛行機の話をしているのか、私はこの時点でまだ理解していませんでした。
103丁目駅で地下鉄を降りて、公衆電話を探しました。実家に架けますがまだ繋がりません。
これは当分かかりにくい状態だなとあきらめました。
グッゲンハイム美術館に到着すると、まだオープンしていました。
中に入り展示されている現代美術を見て回りますが、さっき目撃した事件が頭から離れず、まったく作品に集中できませんでした。でも、よく考えれば当然かもしれません。
ミュージアムショップに入ると、ラジオを流していました。サウスタワーがコラップスしたとかなんとか言っているのを聞いた店主は、ラジオを苦々しそうに切りました。
怖いものを見た後だったからでしょうか、ピカソが描いた鳩の絵のように、自然と優しい絵を求める気持ちになりました。
カードを使おうとすると、うまく通信できません。結局現金払いをしました。
このあと現金が必要になるのではないか、と気づき、ATMで現金を下ろすことしました。ここでもニューヨーカーが列を作って待ってましたが。
さて、グッゲンハイムを出てメトロポリタンに行ってみると、既に閉鎖され立入禁止になっていました。

しょうがないので、地下鉄でホテルまで帰ろうとしましたが、駅に降りる階段が既に封鎖されていました。
公共交通機関でまだ走っているバスも鈴なりになって、これ以上乗れないような状態で運行しています。多くの人は徒歩でオフィスから帰っていくようでした。
私も歩いてホテルまで帰ることにしました。
ホテルでもう一度実家に電話をかけますが、やはり繋がりません。
ホテル名を知らせていないものの、ニューヨークにいくことは伝えていたので心配しているはずなので、なにか他の策が求められます。
もしかしたら、在NY日本大使館に安否確認で電話をかけてくるかもと思い、大使館に電話してみました。
すると、三等書記官が出てきて、こういう電話が多いんですよね、と言うではないですか。ややめんどくさそうに名前や滞在先のホテルなどを聞かれました。
もう少し邦人の安全を守ってくれる組織だと思っていたのですが、印象が変わりました。
ホテルでテレビを見て、ようやく飛行機による自爆テロだということが分かりました。
セカンド・プレーンのくだりもやっと理解できました。
さて、じっとしていても始まりません。
次は何のテロだろうか、身を守るためになにをすべきか、いろいろ考えを張り巡らしました。
水道に毒を混ぜるなんてテロも考えられました。
まず、水や食料を確保したほうが良いな、と思いました。
ホテル近くのデリカテッセンでミネラルウォ-ターや食品を買い込みました。
いろいろありましたが、まだ昼にもなっていません。
不特定多数が入れるような施設は封鎖されている可能性が高かったのですが、歩いて回れるだけ回ってみようと思いました。
タイムズスクエアに行ってみました。
人だかりがして、ニュースに見入っています。

また近くで何が爆発するかもしれませんので、ホテルのある北へ向けて逃げることにしました。(この時点でまだ爆弾テロだと思っていました。)
City Hall駅に降りていくと、まだ事件直後だったので地下鉄は動いていました。このあとまもなく地下鉄駅も全面的に封鎖されることになりますが。
ホテルは50数丁目にありましたが、とりあえず103丁目まで逃げました。

なぜこんなに北まで逃げたかと言うと、まだ観光する気を捨てていなかったからでした。
グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館に寄る予定でした。
さて、地下鉄に乗っていると、隣に座った女性が泣きながら、周りの人にセカンド・プレーンを見たとか言っているのが聞こえました。
なんで飛行機の話をしているのか、私はこの時点でまだ理解していませんでした。
103丁目駅で地下鉄を降りて、公衆電話を探しました。実家に架けますがまだ繋がりません。
これは当分かかりにくい状態だなとあきらめました。
グッゲンハイム美術館に到着すると、まだオープンしていました。
中に入り展示されている現代美術を見て回りますが、さっき目撃した事件が頭から離れず、まったく作品に集中できませんでした。でも、よく考えれば当然かもしれません。
ミュージアムショップに入ると、ラジオを流していました。サウスタワーがコラップスしたとかなんとか言っているのを聞いた店主は、ラジオを苦々しそうに切りました。
怖いものを見た後だったからでしょうか、ピカソが描いた鳩の絵のように、自然と優しい絵を求める気持ちになりました。
カードを使おうとすると、うまく通信できません。結局現金払いをしました。
このあと現金が必要になるのではないか、と気づき、ATMで現金を下ろすことしました。ここでもニューヨーカーが列を作って待ってましたが。
さて、グッゲンハイムを出てメトロポリタンに行ってみると、既に閉鎖され立入禁止になっていました。

しょうがないので、地下鉄でホテルまで帰ろうとしましたが、駅に降りる階段が既に封鎖されていました。
公共交通機関でまだ走っているバスも鈴なりになって、これ以上乗れないような状態で運行しています。多くの人は徒歩でオフィスから帰っていくようでした。
私も歩いてホテルまで帰ることにしました。
ホテルでもう一度実家に電話をかけますが、やはり繋がりません。
ホテル名を知らせていないものの、ニューヨークにいくことは伝えていたので心配しているはずなので、なにか他の策が求められます。
もしかしたら、在NY日本大使館に安否確認で電話をかけてくるかもと思い、大使館に電話してみました。
すると、三等書記官が出てきて、こういう電話が多いんですよね、と言うではないですか。ややめんどくさそうに名前や滞在先のホテルなどを聞かれました。
もう少し邦人の安全を守ってくれる組織だと思っていたのですが、印象が変わりました。
ホテルでテレビを見て、ようやく飛行機による自爆テロだということが分かりました。
セカンド・プレーンのくだりもやっと理解できました。
さて、じっとしていても始まりません。
次は何のテロだろうか、身を守るためになにをすべきか、いろいろ考えを張り巡らしました。
水道に毒を混ぜるなんてテロも考えられました。
まず、水や食料を確保したほうが良いな、と思いました。
ホテル近くのデリカテッセンでミネラルウォ-ターや食品を買い込みました。
いろいろありましたが、まだ昼にもなっていません。
不特定多数が入れるような施設は封鎖されている可能性が高かったのですが、歩いて回れるだけ回ってみようと思いました。
タイムズスクエアに行ってみました。
人だかりがして、ニュースに見入っています。

- 2009-09-15
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City Hallの辺りまで逃げて、ようやく危機的な状況は脱したように思いました。

燃えるWTCを多くの人が眺めています。
逃げている間に、地面に多くの紙が散乱していることに気がつきました。
A4サイズの書類だけでなく、長く連なったコンピュータ出力用紙や、名刺なども落ちていました。

消防車もWTCへ急行しています。


燃えるWTCを多くの人が眺めています。
逃げている間に、地面に多くの紙が散乱していることに気がつきました。
A4サイズの書類だけでなく、長く連なったコンピュータ出力用紙や、名刺なども落ちていました。

消防車もWTCへ急行しています。

- 2009-09-15
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逃げ惑う人々。車道にも人があふれ始めました。


500mは逃げたでしょうか。ようやくWTCが燃えているのに気づきました。

しかしビルが2本とも燃えているとは驚きでした。
音は1回しか聞こえませんでしたから。

公衆電話には、安否を連絡しあうためでしょう、たくさんの人が並び始めていました。
私も国際電話をかけようと何度か試みましたが、回線が込み合っているようで実家になかなか繋がりませんでした。


500mは逃げたでしょうか。ようやくWTCが燃えているのに気づきました。

しかしビルが2本とも燃えているとは驚きでした。
音は1回しか聞こえませんでしたから。

公衆電話には、安否を連絡しあうためでしょう、たくさんの人が並び始めていました。
私も国際電話をかけようと何度か試みましたが、回線が込み合っているようで実家になかなか繋がりませんでした。
- 2009-09-15
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9時ごろ髪の毛に灰のようなものをかぶった女性が列の前の方に並んでいた人に話しかけていました。
深刻な顔でなにか話していますが、まだ私を含め、事件に気づいた人はおらず、まだ列を作って証券取引所が開くのを待っていました。
今考えると、1機目の衝突で降って来た瓦礫をあびた人だったんですね。そのときは、単に頭に灰を被った汚らしいおばさんだとしか思っていませんでした。
しかし、それもつかの間、2機目がノースタワーに突入したのでした。
そのときは、まだ何が起こったのかわかりませんでしたが、重いものがぶつかるような音と、雷のようなバリバリという音が混ざったような、ものすごい爆音が響き渡りました。同時に軽石のような瓦礫がパラパラと降ってきました。
怪我はしませんでしたが、身の危険を感じ、音がしたのとは反対方向へ一斉に逃げ始めました。
逃げ始めた直後の写真がこれです。

なにがあったのか分かりませんでしたが、だいぶん遠くまで逃げて、ようやく煙が見えてきました。

以前WTCで小包爆弾のテロがあったことは、予備知識として知っていました。
直感的に、同じようなテロがあったのかなと思いました。
深刻な顔でなにか話していますが、まだ私を含め、事件に気づいた人はおらず、まだ列を作って証券取引所が開くのを待っていました。
今考えると、1機目の衝突で降って来た瓦礫をあびた人だったんですね。そのときは、単に頭に灰を被った汚らしいおばさんだとしか思っていませんでした。
しかし、それもつかの間、2機目がノースタワーに突入したのでした。
そのときは、まだ何が起こったのかわかりませんでしたが、重いものがぶつかるような音と、雷のようなバリバリという音が混ざったような、ものすごい爆音が響き渡りました。同時に軽石のような瓦礫がパラパラと降ってきました。
怪我はしませんでしたが、身の危険を感じ、音がしたのとは反対方向へ一斉に逃げ始めました。
逃げ始めた直後の写真がこれです。

なにがあったのか分かりませんでしたが、だいぶん遠くまで逃げて、ようやく煙が見えてきました。

以前WTCで小包爆弾のテロがあったことは、予備知識として知っていました。
直感的に、同じようなテロがあったのかなと思いました。
- 2009-09-15
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9月10日は普通に観光ができました。
国連の見学、MOMAでの絵画鑑賞を楽しむことができました。
国連では、広島で被爆してご飯が炭化したお弁当箱やぐにゃぐにゃに溶けた硬貨が展示されていました。小学校時代を広島で暮らしたので、感慨深いものがありました。
MOMAで絵を見ている間、すごい夕立が降ってきてきました。MOMAの大きな窓を伝って雨が瀧のように流れていたのを思い出します。
9月11日早朝、ミッドタウンにあるホテルを出て、地下鉄で南下、バッテリーパークに行きました。
朝食にドーナツを買い、ベンチで食べているとリスが寄ってきました。
こんな都会にも関わらず、リスが棲んでいるなんて、少し驚きでした。

バッテリーパークからは自由の女神像が見えました。
また、WTCも見えました。この1時間後飛行機が2機突っ込むことになりますが、この時点ではまったく静かな朝でした。

前日の晩にリサーチしていて、朝9時にNY証券取引所が開くことを確認していました。ちなみにWTCの展望台は9:30に開くので、1時間ほど時間をつぶさねばなりません。
WTCの近くにCENTURY21という安売り店がありました。そこで30,40分ほど品物をたり買い物をして時間をつぶしました。
買い物を済ませ、WTCの南側の歩道をNY証券取引所方向に歩いていきます。
前日の夕立がうそのように、雲ひとつないいい天気でした。
9時前、NY証券取引所の外側で列をつくって開くのを待っていました。
すると摩天楼のビルの隙間に紙のようなものが舞っているのが見えました。
ヤンキースが優勝すると、こんな風にビルから紙ふぶきをが舞っている映像は見たけどそんな訳ないしなぁ、なんて思いながら、良く分からないままカメラを向けました。

この時点では事件にまったく気づきませんでしたが、1機目が突入した時にオフィスから吹き飛んだ書類だったのでしょう。
国連の見学、MOMAでの絵画鑑賞を楽しむことができました。
国連では、広島で被爆してご飯が炭化したお弁当箱やぐにゃぐにゃに溶けた硬貨が展示されていました。小学校時代を広島で暮らしたので、感慨深いものがありました。
MOMAで絵を見ている間、すごい夕立が降ってきてきました。MOMAの大きな窓を伝って雨が瀧のように流れていたのを思い出します。
9月11日早朝、ミッドタウンにあるホテルを出て、地下鉄で南下、バッテリーパークに行きました。
朝食にドーナツを買い、ベンチで食べているとリスが寄ってきました。
こんな都会にも関わらず、リスが棲んでいるなんて、少し驚きでした。

バッテリーパークからは自由の女神像が見えました。
また、WTCも見えました。この1時間後飛行機が2機突っ込むことになりますが、この時点ではまったく静かな朝でした。

前日の晩にリサーチしていて、朝9時にNY証券取引所が開くことを確認していました。ちなみにWTCの展望台は9:30に開くので、1時間ほど時間をつぶさねばなりません。
WTCの近くにCENTURY21という安売り店がありました。そこで30,40分ほど品物をたり買い物をして時間をつぶしました。
買い物を済ませ、WTCの南側の歩道をNY証券取引所方向に歩いていきます。
前日の夕立がうそのように、雲ひとつないいい天気でした。
9時前、NY証券取引所の外側で列をつくって開くのを待っていました。
すると摩天楼のビルの隙間に紙のようなものが舞っているのが見えました。
ヤンキースが優勝すると、こんな風にビルから紙ふぶきをが舞っている映像は見たけどそんな訳ないしなぁ、なんて思いながら、良く分からないままカメラを向けました。

この時点では事件にまったく気づきませんでしたが、1機目が突入した時にオフィスから吹き飛んだ書類だったのでしょう。
- 2009-09-15
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8年前、たまたま遊びに行っていたNYで九死に一生とも言うべき事件に遭遇しました。そのころの思い出を綴ってみようと思います。
シアトル-ボストン-ニューヨークの一人旅でした。
9月7日 シアトルに到着、オリオールズ戦をセーフコフィールドで観戦。
1年目のイチローはこの試合も3安打の大活躍でした。
引退直前のカル・リプケンJr.も出場。イチローは毎打席リプケンに匹敵するスタンディングオベーションで迎えられていました。
9月8日は1日シアトル観光。夜の飛行機でボストンへ。
国内線だったためか、今思えば手荷物検査はチェックがゆるいと感じました。
ボストン直行便は無かったので9月9日早朝、ニューヨークのJFK空港でトランジット。
闇の中のマンハッタン島。碁盤の目の道路に沿って街灯が並んでいるのが上空から見えました。
9月9日はボストン観光。晩飯をMITに留学中の大学の友人2人と取りました。
日本語でしゃべっていたので話が弾み日本にいるような感覚に陥りました。危うくその晩のNY便に乗り遅れそうになりましたが、ぎりぎりチェックインが間に合いなんとか事なきを得ました。
これがこの旅一番のハプニングになるはずでしたが、2日後それを遥かにしのぐ出来事に遭遇するのでした。
9月9日夜、NYにつきました。明日からNYを思う存分観光しようと意気揚々としていました。
シアトル-ボストン-ニューヨークの一人旅でした。
9月7日 シアトルに到着、オリオールズ戦をセーフコフィールドで観戦。
1年目のイチローはこの試合も3安打の大活躍でした。

引退直前のカル・リプケンJr.も出場。イチローは毎打席リプケンに匹敵するスタンディングオベーションで迎えられていました。
9月8日は1日シアトル観光。夜の飛行機でボストンへ。
国内線だったためか、今思えば手荷物検査はチェックがゆるいと感じました。
ボストン直行便は無かったので9月9日早朝、ニューヨークのJFK空港でトランジット。
闇の中のマンハッタン島。碁盤の目の道路に沿って街灯が並んでいるのが上空から見えました。
9月9日はボストン観光。晩飯をMITに留学中の大学の友人2人と取りました。
日本語でしゃべっていたので話が弾み日本にいるような感覚に陥りました。危うくその晩のNY便に乗り遅れそうになりましたが、ぎりぎりチェックインが間に合いなんとか事なきを得ました。
これがこの旅一番のハプニングになるはずでしたが、2日後それを遥かにしのぐ出来事に遭遇するのでした。
9月9日夜、NYにつきました。明日からNYを思う存分観光しようと意気揚々としていました。
- 2009-09-12
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