お酒のおともに
お酒でも飲みながら見ていただければ幸いです。
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松嶋×町山未公開映画を観るTVで放送された「Defamation」を観た。
反ユダヤ主義の現状を取材し、イスラエル政府のパレスチナに対する弾圧を告発するドキュメンタリー作品だ。
ユダヤ人のシャミール監督だからできた作品であって、これを他の国の人間が作っていたら、ADLなどユダヤ系ロビイストから非難囂々だっただろう。
イスラエルで生まれ育った高校生がアウシュビッツに修学旅行する様子も描かれている。この高校生たちは普段はユダヤ人差別など感じない。ユダヤ人の国で暮らしているから当然だ。しかしポーランドに旅行に行く際、先生たちからユダヤ人は世界中から嫌われている、外にはネオナチがいるから旅行中に他の人に接触しないようになどとひどく脅される。
高校生たちも先生の言葉を真に受けてホテルから抜け出して町に出ようとする子どもはいない。また、アウシュビッツの悲惨な現場を観て、悲しみ憤り、感情をあらわにする。ある側面からだけスポットを当て続けて歴史を語り継いだ結果、「虐殺をした人たちを殺したい」などと言う高校生の姿もあった。
シャミール監督が「虐殺に携わった人たちはもう亡くなっているよ」と言っても、「その子孫がいるでしょう」と高校生はこともなげに切り返す。
「パレスチナ難民はまだましだ」という感想を持つ子どももいた。イスラエルが行っているパレスチナの不法占拠をある意味正当化しているようにも思える発言が出てくるということは、洗脳に近い教育なのかもしれない。
引率していた先生自身も果たしてこういう教育で良いのか悩む姿も描かれていた。
民族の苛烈な歴史を語り継ぐ大切さはあるとしても、憎しみを増幅するようにしむけたり、過去に受けた暴力をことさら強調し自らの暴力を正当化するやり方は、イスラエルを孤立させてはしても、平和や安定には決して寄与しないと思う。
未だにユダヤ人差別がなくならないと主張するADLにもこの映画で切り込んでいる。ADLは反ユダヤ主義の事件が急増していると主張しているが、告発された内容を具体的にみると、休日(土曜日)に働かされたのはユダヤ人差別だとか本当に反ユダヤ主義によるものなのか疑問視されるものが多かった。
一方ユダヤ人の中でも一部の知識人たちはADLやメディアが流すユダヤ人差別は創作であり、でっちあげだと批判していた。しかし、そのことによりイスラエルから国外追放を受けた人もいる。
ノーマン・フィンケルスタインはホロコーストの政治利用を非難したため、国外追放となった。彼は映画の中でも、イスラエルはホロコーストをパレスチナの不法占拠を正当化するために利用していると痛烈に批判していた。
イスラエルの不寛容は、自分たちをますます孤立化させるばかりだと思う。
パレスチナの問題を見聞きするたびにダニエル・バレンボイムとエドワード・サイードの友情が頭をよぎる。これは「バレンボイムとサイード 音楽と社会」に詳しい。
音楽などの芸術やスポーツなど、政治から極力離れたところから、お互いに心を開き、友好が形作られるようになるのを願ってやまない。この本でもバレンボイムが言っていたが、アラブ人もユダヤ人もお互いセム語族なのだから。
この映画を観ていて、差別を武器にしていると言えば先日読んだ「同和と銀行」(森功著)もそうだったと思い出した。
これは、メガバンク(三和銀)と同和団体「飛鳥会」、国税や警察、大阪市や大阪府が癒着していた事件の真相に迫るノンフィクションだった。バブル期に権力と結びついて開発利権で儲けていた小西邦彦という人物の話が詳細に語られている。
この映画の中でADLがウクライナ国内の虐殺をジェノサイドと呼ばない代わりに有利な条件をウクライナ政府から引き出そうとする政治取引をしている様子が描かれていた。
いずれにせよ、差別を武器に交渉するとはえげつない話である。
反ユダヤ主義の現状を取材し、イスラエル政府のパレスチナに対する弾圧を告発するドキュメンタリー作品だ。
ユダヤ人のシャミール監督だからできた作品であって、これを他の国の人間が作っていたら、ADLなどユダヤ系ロビイストから非難囂々だっただろう。
イスラエルで生まれ育った高校生がアウシュビッツに修学旅行する様子も描かれている。この高校生たちは普段はユダヤ人差別など感じない。ユダヤ人の国で暮らしているから当然だ。しかしポーランドに旅行に行く際、先生たちからユダヤ人は世界中から嫌われている、外にはネオナチがいるから旅行中に他の人に接触しないようになどとひどく脅される。
高校生たちも先生の言葉を真に受けてホテルから抜け出して町に出ようとする子どもはいない。また、アウシュビッツの悲惨な現場を観て、悲しみ憤り、感情をあらわにする。ある側面からだけスポットを当て続けて歴史を語り継いだ結果、「虐殺をした人たちを殺したい」などと言う高校生の姿もあった。
シャミール監督が「虐殺に携わった人たちはもう亡くなっているよ」と言っても、「その子孫がいるでしょう」と高校生はこともなげに切り返す。
「パレスチナ難民はまだましだ」という感想を持つ子どももいた。イスラエルが行っているパレスチナの不法占拠をある意味正当化しているようにも思える発言が出てくるということは、洗脳に近い教育なのかもしれない。
引率していた先生自身も果たしてこういう教育で良いのか悩む姿も描かれていた。
民族の苛烈な歴史を語り継ぐ大切さはあるとしても、憎しみを増幅するようにしむけたり、過去に受けた暴力をことさら強調し自らの暴力を正当化するやり方は、イスラエルを孤立させてはしても、平和や安定には決して寄与しないと思う。
未だにユダヤ人差別がなくならないと主張するADLにもこの映画で切り込んでいる。ADLは反ユダヤ主義の事件が急増していると主張しているが、告発された内容を具体的にみると、休日(土曜日)に働かされたのはユダヤ人差別だとか本当に反ユダヤ主義によるものなのか疑問視されるものが多かった。
一方ユダヤ人の中でも一部の知識人たちはADLやメディアが流すユダヤ人差別は創作であり、でっちあげだと批判していた。しかし、そのことによりイスラエルから国外追放を受けた人もいる。
ノーマン・フィンケルスタインはホロコーストの政治利用を非難したため、国外追放となった。彼は映画の中でも、イスラエルはホロコーストをパレスチナの不法占拠を正当化するために利用していると痛烈に批判していた。
イスラエルの不寛容は、自分たちをますます孤立化させるばかりだと思う。
パレスチナの問題を見聞きするたびにダニエル・バレンボイムとエドワード・サイードの友情が頭をよぎる。これは「バレンボイムとサイード 音楽と社会」に詳しい。
音楽などの芸術やスポーツなど、政治から極力離れたところから、お互いに心を開き、友好が形作られるようになるのを願ってやまない。この本でもバレンボイムが言っていたが、アラブ人もユダヤ人もお互いセム語族なのだから。
この映画を観ていて、差別を武器にしていると言えば先日読んだ「同和と銀行」(森功著)もそうだったと思い出した。
これは、メガバンク(三和銀)と同和団体「飛鳥会」、国税や警察、大阪市や大阪府が癒着していた事件の真相に迫るノンフィクションだった。バブル期に権力と結びついて開発利権で儲けていた小西邦彦という人物の話が詳細に語られている。
この映画の中でADLがウクライナ国内の虐殺をジェノサイドと呼ばない代わりに有利な条件をウクライナ政府から引き出そうとする政治取引をしている様子が描かれていた。
いずれにせよ、差別を武器に交渉するとはえげつない話である。
- 2011-02-05
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